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日本VSカタールを日産スタジアムで観戦してきました。
その模様をカメラに収めてきましたので公開します。
2階席の高い位置の席だったので、望遠で撮影しても選手の顔が小さいです。
予めご了承下さい。
2010/09/08 12:09:06
今まで車の工場見学に行った事が無かったので、“JAF”会員を利用して福岡県京都郡苅田町にある日産九州工場の見学に行ってきました。
土日の見学はやっていないので、平日のみ自分で日産に予約して見学となります。
この日も写真を沢山撮るぞ!と意気込んでいたら、やっぱり工場内は撮影禁止なのね。
まず簡単に行程を説明すると、プレス→溶接→塗装→取り付け→出荷となり、プレスと溶接は安全面から見学できませんでしたが、スポット溶接は見学できました。
数十台並んだ車に4機のロボットが一斉に溶接を始める光景はまさに圧巻です・・・いや、ターミネーターの実写版を見ているようでした。
見る物すべてが初めてな私は、車がこうやって出来るのかーと感動しまくり。
しかし、見学時間が1時間30分しかないので、ゆっくり見られないのが悔やまれました。
多分、ゆっくり見ていたら1日で終わらないかもしれませんが、
最後のアンケートでこのことを書かせて頂きました。
その後、行橋市に昼食を食べ、また中津市にも近いので唐揚げを買って、温泉に入ってきた事は言うまでもありません。(笑
2010/08/30 09:08:52
<2005年12月18日(日)>
旅行2日目となりました。今日はバンコク市内の見学を当て、翌日に近郊のアユタヤ遺跡見学の予定です。HI*さんの市内の名所早巡りツアーに参加者は4名だったようですが、3名で出発しました。別のホテルの1名の方が時間に間に合わず、大分待ちぼうけとなりました。朝のラッシュが迫っていましたので、ご本人にもガイドさんから連絡してもらって、結局ワゴン車は、見切り発車となりました。
<ホテルの朝食、早朝の散歩>
昨晩は、比較的早く就寝しましたので、4時には目が覚めました。余り早く起きても仕方ありませんので、結局起き出したのは5時45分でした。
朝食のメニューを少し紹介しておきます。洋食とタイ料理が主体のバイキング方式です。大きなホテルですから、席も余裕を持って配置してありました。品数も豊富でした。
暖かい国ですから、果物類も種類が豊富で、味の方も申し分ありませんでした。普段は余り果物を食べませんが、こんな時は別です。各種の果物を少しだけカップに盛って、食後のフルーツを楽しみました。トロピカルなフルーツのほか、スイカなども出されました。その数は10種類以上でした。細かく数えれば20種類近かったかも知れません。
食事の後は、カメラを持って早朝の散歩に出かけました。市内見学の車が迎えに来てくれる7時半に、まだ1時間以上の余裕があったからです。扉が開かれていた公共施設のような大きな屋敷の入口付近で花の写真を撮っていましたら、中から黒塗りの公用車がゆっくり出てきました。どうやら高級官僚の官舎だったようです。車が出て行った後、その門はぴったりと閉ってしまいました。
<ガイドさんからお聞きしたタイ王国事情>
最初に、お聞きしたことを箇条書で記しておきます。内容についての統一性はありません。メモした順番です。
?女性と、男性では挨拶は違います。男性の場合、サワッディー・クラ(ップ)です。朝も昼も使えます。
?バンコクでは、雪は降りません。(以下、気候はバンコクの場合)
?一番暑いのは4月です。昨年(2004年)は41度Cになりました。
?12月と1月がベストシーズンです。
?タクシーの初乗り料金は35バーツ(約100円)です。その後は100mごとに2バーツです。
?タクシーで黄と緑のツートンカラーは個人、その他は会社所有です。
?メーターの無い、ツック・ツックと言う乗り物もあります。
?高架電車はスカイトレイン、BTS等と呼ばれています。運行時間は朝の6時から、夜の12時までです。
?サイアム駅付近が中心街となります。
?国民の95%が仏教徒です。タイでは小乗仏教です。
?全国で約2万のお寺があります。
?お坊さんは結婚できません。尼さんもいます。
?お坊さんは、一切アルコールは禁止されています。飲むと、それまでの修行が全て駄目になると考えます。
?男子は21歳で徴兵制があります。
?徴兵は全員ではなく、くじ引きで決めます。
?黒い籤が75%、赤い籤が25%あり、赤い籤を引くと2年間の兵役となります。(4人に1人)
?男子は、一定期間仏門に入る義務が生じます。
?日本の車で多いのは、トヨタ、ホンダ、日産、三菱の順です。三菱は急激に減っています。
?1戸建て住宅の値段は約100万バーツです。
?タイ国旗の青は王様、白が宗教(仏教)、赤が国を表しています。
紹介は以上にしておきますが、王様のことや、閣僚のことなども色々とお聞きしました。ラーマ九世であるプミポン国王は、来年(2006年)、在位60年を迎えられるので、世界中の君主国へ招待状を出される予定との話題も出ました。勿論、日本もその中に含まれていますが、全部で21、2カ国のようです。
その後の人本の新聞記事で、プミポン国王から正式に招待状が届いたことが報道されていました。
<ワット・アルン>
最初にワット・アルンの紹介です。ワットの文字が度々出てきますが、これはお寺のことです。ワット・アルンの正式名称はワット・アルン・ラチャクラーラムです。通称、『暁の寺』とも呼ばれ、日本でも三島由紀夫の小説の題名で有名になったお寺です。
そのワット・アルンへの近道は海上交通です。ター・ティアン船着場からの出発となります。ほとんど真直ぐに川を横断するだけですから、10分とはかかりません。川を高速で上下する船を避けての横断です。
全体の構成は、ヒンズー教の神々が住むといわれる神話上の山、須弥山(しゅみせん)を模しています。中央の大仏塔は高さが79mあり、その四方に小さな仏塔が配されています。創建はラーマ1世の時代に遡り、その後、歴代王によって、増改築が繰り返されました。その結果、現在ではタイ国最大のクメール様式の仏塔(プラーン)となっています。
現在は大仏塔の上部への立ち入りは制限されていますが、途中までは急な石段を登ることが出きます。視界が開け、また別の世界が見えてきました。大仏塔を囲む四方の小仏塔の中段辺りには、それぞれに別の仏像が飾ってありました。遠くから見た限りでは、騎馬像のようにも見えました。
次に大仏塔の装飾についても少し紹介しておきます。ガイドブックにも載っていますが、彩色陶器片が全体に散りばめられています。ラーマ4世が寄贈された夥しい中国陶磁器です。デザインされているのは、花や植物です。陶磁器片だけでなく、割れていない皿もふんだんに使われています。
仏塔を覆うこれらの陶磁器が、朝日を受けて神々しく輝く様は、『暁の寺』の由縁となりました。
陶磁器片の飾りのほかに触れておきたいのが、彫像です。その数も夥しく、しかも多彩です。壁に刻まれた白いレリーフもありますし、独立した像、塔を支えるようにデザインされた像などもあります。それらの像もまた、陶磁器片で飾ってあります。
<ワット・プラケオと王宮>
ワット・プラケオは、タイで最高の地位と格式を誇る仏教寺院であり、王室の守護寺です。王室専用であり、タイでは、唯一僧侶のいない寺院です。ヒンズー教の神話をアレンジしたラーマキエン物語の描かれた本堂には、高さ66cmの翡翠でできた本尊が安置されています。
そのワット・プラケオに隣接して、王宮があります。今回の見学では、大掛かりな修復作業に入っているようでした。白壁に囲まれた20万平方の敷地内には、歴代の王により建立された、きらびやかな宮殿群が建ち並んでいます。それぞれに時代の芸術の贅を尽くして建造された建物や調度品には、金や宝石が散りばめられ、権力と財力の象徴を今に伝えています。現在は、国家的儀式や祭典、迎賓館として利用されています。
見所が多い見学場所ですから、ガイドさんからざっと説明をお聞きした後で、集合場所と時間を決めての自由行動となりました。御本尊は撮影が出来ませんから、ガイドさんが手にした写真を、見せてもらいながらの説明をお聞きしました。
最初にエメラルド寺院の本堂から紹介しておきます。履物を脱いで中に入ることが出来ますが、御本尊が安置されていますから、写真撮影は禁止されています。ご本尊のエメラルド仏は、高い位置に安置されていますから、細部までは、良く見えません。年に3回、国王自らが、お召し替えをされる儀式が有名です。
全体が黄金の輝きを持つプラ・スィー・ラタナ・チェディも見ものです。ラーマ四世がアユタヤのワット・プラ・スィー・サンペットを模して建立されたものです。内部に仏舎利が安置されていますが、非公開です。
この他にも、屋根が段々と重なったタイ様式、とうもろこし形の尖塔のクメール様式、先端が細くなるスリランカ様式などの建物と、その外壁に施された多彩な装飾も、全く見飽きることがありません。
<お決まりコースの後、市内散策>
バンコク市内の主な見学場所は、ワット・アルンとワット・プラケオでした。その後ではお決まりの免税店巡りなどでした。お断りしたくても、ツアーの場合は、半分は義務のようなものですから、お付き合いは仕方がありません。宝石製造工場の見学の後、免税店での解散となりました。私の場合、夜のディナーショウを申し込んでいましたから、それまでの間が自由行動です。
自由行動になった後は、BTSを使って市内見学をしました。バンコクに到着した昨晩、既に経験済みでしたから、BTSも地下鉄利用も全く問題ありません。色んな都市を訪れた時の私の楽しみにもなっています。
気温は30度近くに上昇していたようです。汗をかきながらの市内見学でした。日陰で寝そべっている犬も見かけましたが、暑さで参っている風にも見えました。概して、タイでは犬が大切に扱われているようです。犬さんの方も、穏やかな顔つきばかりでした。
<古典舞踊のディナーショウ>
昨日、HI*のガイドさんに、オプショナルで、夜はタイ古典舞踊のディナーショウを申し込んでいました。折角、タイへやって来たのですから、古典舞踊も鑑賞しないわけにはいけません。夕方6時にホテルまで迎えに来てもらう約束でした。時間を守ってくれるガイドさんですから、いつも10分前には、約束の場所に行くことにしました。
ディナーショウの写真が紹介できないのが残念です。実はこの時撮った写真が、カメラごとスリにあったためです。二部構成で、第一部が叙事詩の仮面舞踊、第二部がスコータイダンスでした。
ここで、簡単にタイの古典舞踊等について、紹介します。下の写真の左側は、愛知万博の際にタイ館で披露された南部の古典舞踊です。劇の前奏曲としての踊りです。「サット」と南部の古典劇である「チャートリー」の形式を踏まえた古典舞踊です。軽快な太鼓の音に合わせた早いテンポでの踊りです。
右側の写真は、インターネット情報から転載した古典舞踊です。当日の舞踊も、この場面に類似していたように記憶しています。
<78歳の現役スキーヤーの母と娘さんのこと>
HISのツアーで御一緒になった方についての紹介です。投宿したホテルも御一緒だった方です。2日目の半日市内観光もご一緒になった方です。母娘のお二人でしたが、お母さんの方が自分から年齢を紹介されて、78歳の方だと言うことが分かりました。
実にお元気な方で、歩き方も若い人には引けをとらない方でした。現役のプロスキーヤーであることが、その理由でした。世界的な冒険スキーヤーで登山家の三浦雄一郎のお父さんである、敬三さんともスキー仲間だと話されていました。
その三浦敬三さんが、『ここ1年ほどで、急に弱ってしまわれたので心配しています』と話されていました。その心配されていた敬三さんが、この旅行の翌月、年が明けた1月5日に多臓器不全のため、101歳で他界されました。謹んで御冥福をお祈りします。
その後、亡くなられた三浦敬三さんの追悼番組が放映されていましたので、奇しき縁だと思って、そのテレビを最後まで見ていました。ご高齢になられても筋肉を鍛えられる姿に、畏敬の念が湧きました。
そのプロスキーヤーのお母さんは、ロシヤに行ったり、カナダに行ったりと、寒い国にばかり旅行していて、暖かい国への旅行は初めてだと話されていました。語学が達者なようでした。一人旅も出来る方だとお見受けしました。
また、最近、ご高齢で亡くなられたご自身の義理の母のことについても、お話を聞くことが出来ました。嫁と姑の関係です。40年以上お世話になって、最初は辛いこともあったようですが、本当に、いろんなことを教えて頂いたと、心から感謝されていました。私に話しながら、傍らの娘さんに教えられていたのかも知れません。お二人は、姓が違っていましたから、普段は別々に暮らされているようでした。
ワット・アルンで
暁の塔を見詰て渡る川岸辺に立りラーマ九世
須弥山を現世に現す尖塔に真を籠し陶器は数多
ワット・プラケオで
黄金の尖塔長く天に伸び静に咲ける蓮の花あり
縁起絵に見惚て暗き回廊に喧騒暫し耳を離るる
2010/08/29 06:08:19
2006年2月25日(アメリカ時間)の旅行写真の続きです。リンカーン記念堂、ペンタゴンやアーリントン墓地の見学です。
2010/08/28 10:08:45
<2006年2月25日(土):アメリカ時間>
ワシントンDCの見学が、今回旅行のハイライトの1つとなりました。待合せのペンシルバニアホテルが6時半の約束でしたから、5時15分にはホテルを出発しました。早朝からの中身の濃い半日小旅行です。
<早朝の出発、待ち合わせのホテルへ>
昨日の内に、待合せ場所の下見をした結果、タクシーは呼ばずに現地まで歩くことにしました。その時間を30分と読みました。それで、途中で朝食をとることにし、マグドナルドのお店に入りました。店の中には、ここで夜を過ごしたらしい人達が何人かいました。注文したのは、ハンバーガーとホットコーヒーのスモールサイズです。
セルフサービスの水がありませんでしたから、熱い思いをしました。太いストローで注意深くコーヒーを飲んだつもりでしたが、想像を超える熱さでした。余り熱くて、皆さんも、半分程は残されたようです。
<電車でワシントンDCへ>
待合せのペンシルバニアホテルには、時間少し前に到着しました。現地ガイドさんに6時45分発のチケットを入手して貰い、ここでお別れしました。ワシントンDCでは、別のガイドさんが出迎えてくれる手筈です。始発駅でしたから、最初は空いていました。ワシントンDC駅まで、約3時間の列車の旅です。途中からは、次第に満席になってきました。
ワシントンDCの表記は、ワシントン州と区別するためです。DCはコロンブスに因む『The District of Columbia(コロンビア特別区)』の略です。
入り組んだ海岸線か、湿地他のような場所を長く走って、終点駅に到着しました。終点駅の少し手前には、ワシントン空港駅がありました。
<最初に国会議事堂見学>
ワシントンDC駅では、ペンシルバニア駅でお別れしたガイドさんが教えてくれた場所に、案内のガイドさんが待っていてくれました。ツアー参加者は、私達3人を含めて7名でした。ワゴン車での見学です。最初の見学地の国会議事堂のことを、少し紹介しておきます。
ウィリアム・ソーントンが設計し、1793年に着工、1800年11月に完工しました。その後、増改築が行われ、長さ250m、幅115m、部屋数540余りの規模となりました。上院は6年任期の100議席で、その1/3が2年ごとに改選されます。下院は、435議席が州の有権者数で配分され、任期は2年です。全員が改選され、2回に1回は大統領選と重なります。
<ホワイトハウス>
ホワイトハウスは、アメリカ合衆国の大統領とその家族が住む官邸です。転じて「アメリカ合衆国政府」のことを指す事もあります。その名前の由来から紹介します。現地ガイドさんも同じことを話されていました。
ホワイトハウスは、米英戦争で1812年に被害に遭い、外部を残して焼失しました。その復興工事の際、一部を除く外壁が白く塗られ、ホワイトハウスと呼ばれるようになりました。
その後、増改築が繰り返され、現在は4階建て132部屋あり、地下には核シェルター機能を持った作戦司令本部があります。屋上ではシークレットサービスの狙撃手が24時間待機しています。内部の見学コースもありましたが、9・11以降は、警備が厳しくなっているようです。
9・11同時多発テロでは、ニューアーク発サンフランシスコ行ユナイテッド航空93便がハイジャックされ、ワシントンDCに15分の場所で墜落しました。ホワイトハウスが標的にされた可能性があります。政府は、公式には否定していますが、戦闘機に撃墜された可能性もあるようです。
車の乗り入れが厳しく規制されていますので、少し離れた場所へ駐車しての見学でした。
<リンカーン記念堂>
第16代大統領エイブラハム・リンカーンを記念して、1922年に建てられた白亜のギリシャ神殿風の建物です。椅子に座った高さ5.7メートルのリンカーン像が据えられています。歴代大統領で、最も背が高かった人です。リンカーンは1863年、奴隷解放を宣言しました。民主主義の理念を貫きましたが、1865年に暗殺されました。
像に向かって左側の壁には、ゲティスバーグで行った有名な演説、「人民の人民による人民のための政治」という名言が刻まれています。演説の最後に近い部分です。
注意して見ないと、見落としますが、この場所で演説を行ったマ マルティン・ルーサー・キング牧師の『アイハブ ア ドリーム』の文字が石面に刻まれています。非暴力で黒人民権運動を指導した彼もまた、1968年暗殺されました。
記念堂の前には、リフレクティング・プールと呼ばれる細長い池があります。高いワシントン塔の全長を、この池に映すことができます。
<朝鮮戦争、戦没者碑>
朝鮮戦争は、1950年6月25日午前4時、北緯38度線で北朝鮮軍の砲撃が開始され、30分後には約10万の兵力が38度線を突破したことに始まります。
6月27日、国連安全保障理事会はソ連が中国政府認証問題に抗議して欠席中に、『北朝鮮弾劾決議』を採択、韓国を防衛するためアメリカ軍25万人を中心としてイギリス、オーストラリアなども加わった国連軍を結成しました。
当初、劣勢だった国連軍は、9月15日、マッカーサー元帥が仁川上陸作戦を成功させ、ソウルを奪還しました。10月1日、韓国軍は祖国統一の好機と踏み、国連軍の承認を受けて、単独で38度線を突破しました。更に、中国の周恩来首相の警告を無視し、10月9日、国連軍も38度線を超えて進撃しました。
参戦には消極的だった中国も、北朝鮮の金日成主席の要請を受けて義勇軍を募って参戦しました。最前線だけで20万人規模、後方待機も含めますと100万人規模という大軍だったとされます。
ソウルの支配者が二転三転する激しい戦闘の結果、400万の犠牲者が出たとされます。その後、戦況は38度線付近で膠着状態となりました。この碑は、アメリカを始めとする国連軍として参加した17カ国の戦没者を祀るものです。
1953年7月27日、板門店で北朝鮮・中国と国連軍の間で休戦協定が結ばれ、3年間続いた戦争は終結しました。
その後、2000年6月の南北首脳会談以降、停戦当初に比べれば融和の兆しが見えましたが、双方の和解は行われていません。未だに準戦時体制であり、国際法上の戦争は終結していません。同胞が争った戦争ですから、計り知れない傷の深さが残ってしまいました。
<ペンタゴン>
ペンタゴンの写真撮影は固く禁止されています。最近も、車を降りて写真撮影しようとしたアジア人が、すぐに連行されたと、ガイドさんが教えてくれました。その理由は、9・11同時多発テロにあります。その時のペンタゴンの状況から説明します。
国防総省の本部は、五角形を意味する『ペンタゴン』で呼ばれる、5階建てで、各床に環状の廊下があります。この構造により、世界最大のオフィスビルでありながら、一番遠い所へも10分以内で移動できる構造になっています。1943年1月15日に完成しました。
そのペンタゴンは、2001年9月11日、テロリストにハイジャックされた民間航空機が衝突し、一部が崩壊、炎上しました。その後、元の石材と同じものを使用して迅速な復旧がなされました。遠くから見ても石材の色が微妙に違っていますから、修復の痕が看て取れます。
9時38分にアメリカン航空77便(ボーイング757)の突入を受けました。大爆発が引き起こされてビルの一部は炎上し、10時10分に4階が崩壊、10時15分に1階までが全て崩壊しました。77便の乗客・乗員全員が死亡するとともに189人の国防総省職員も死亡しました。
情報が錯綜し、最初の報道は炎上というだけでしたが、後に付近を通行中のドライバーや歩行者によって、航空機激突の目撃が証言されました。ボーイング757機の巨体は焼失していました。
写真を撮ってはいけないといわれても、走行中の車の中からだと大丈夫だと思って、何枚か撮影しました。同じように、荒金さんや、井上さんも撮影されていました。
<ショッピングモールでの昼食>
ペンタゴンの前をノンストップで通り過ぎて、ショッピングモールに到着しました。マンハッタン地区に隣接する区域です。ここで、1時間半程の自由行動となりました。昼食とショッピングです。
食事は、各国料理の店が並んでいましたから、その中から選ぶことができました。3人の意見が一致したのが、中国料理のお店でした。焼きそばか、炒飯をメインディシュに、仕切りが付いた皿に、好みで選んだ2種類のおかずを盛って貰いました。
問題は飲み物です。後でガイドさんにお聞きした話ですが、酒類販売の免許の費用が高いので、殆どのお店が、ソフトドリンクだけだそうです。それでも、何とか販売しているお店を探し出し、ハイネッケンの缶ビールが入手できました。食事と飲み物合わせて、3人分で28ドルでした。
食事の後は、私たち三人も、全員の待合せの時間まで、自由行動です。専門店も入った大型ショッピングモールでしたから、見所はたくさんありました。ニューヨークより税率が低いですから、買い物にも好適でした。
<アーリントン国立墓地>
昼食の後の見学は、アーリントンの国立墓地でした。ポトマック川岸、バージニア州側の小高い丘の上にあります。200エーカーという広大な墓地には、独立戦争やベトナム戦争等、アメリカのために命を犠牲にした兵士達など、約26万人が眠ります。
1963年にテキサス州ダラスで遊説中に暗殺された35代大統領J.F.ケネディも、夫人、子供と共にこの墓地に眠っています。ここには、埋葬されてからの灯された炎が、静かに燃え続けています。
靖国参拝問題で、国立追悼施設が話題に上がり、その折に引用される1つが、アーリントン国立墓地です。ワシントンを訪れた各国首脳は、例外なくこの墓地を訪れ、無名戦士の墓等に献花をされるようです。その墓地について、少し説明をしておきます。
墓地への埋葬の費用は、すべて国費で賄われます。その際、どの宗教を選択するかは、生前の故人と、遺族の自由です。プロテスタント、カトリック、ヒンズー教、ユダヤ教、仏教、無宗教でも構いません。
アーリントン国立墓地は、1864年、南北戦争の戦死者を葬るために設置されました。その後、1921年3月4日、アメリカの議会は、第1次世界大戦で仆れたアメリカ兵士の葬儀を、アーリントン国立墓地の追悼場で行なうことを決議しました。これがアメリカでの国家規模における無名戦士の墓の発端となりました。
その後、第2次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争の戦死者も葬られました。イラク戦争とその後の犠牲者で、今なおその数を増しているようです。
<スミソニアン航空宇宙博物館>
現地ガイドさんの一番のお勧めが、このスミソニアン航空宇宙博物館でした。ガイドブックにも、スミソニアンの各種施設でも1、2位を争うと紹介してありました。夏休みに入ると、特に混み合うようです。
無料でしたが、入場する時には、保安検査がありました。見所を教えて貰った後で、ここで2時間以上の自由行動になりました。国立美術館も時間をかけて見学したかったので、早足の見学となりました。
飛行機から音速ジェット機までの航空機の歴史的展示や、当時のソビエトと先陣を争った、人工衛星、有人宇宙飛行等の展示は、僅かの時間を惜しんで見学しました。月の石にも直に触れることができますし、大気圏突入の際に焦げ付いた船体、ソビエト連邦がロシアに代わっての、宇宙ドッキングの展示なども見応えがあります。
<国立美術館>
正式名称は『National Gallery of Art』です。世界でも5指に入るといわれる収蔵品を有しています。ダ・ヴィンチから、ピカソ、ウォーホールまで、13世紀から現代までのヨーロッパ、アメリカの膨大なコレクションが展示されています。
この日、正面玄関は閉まっていましたが、西館からの入場ができました。スミソニアン本部に属していますから、他の博物館、美術館と同様に無料開放されています。フラッシュを焚かなければ、撮影も自由です。
印象に残った作品の中で、エル・グレコについてだけ触れておきます。昨年(2005年)2月、彼の作品が多く収蔵されている、スペインのプラド美術館でも鑑賞することができました。大原美術館にも作品があります。
グレコは、ギリシャ領のクレタ島出身の16世紀の画家です。本名はドメニコス・テオトコプーロスです。一般に知られるエル・グレコの名は、スペイン語で『ギリシャ人』を意味する通称です。
当時ベネチア共和国の支配下にあったクレタ島で、初めにイコンを学び、後にイタリアのベネチア、ローマに渡ってティツィアーノに師事し、ベネチア派絵画を学びました。1577年、36歳でスペインのトレドに渡り、没するまでスペインで宮廷画家として活躍しました。
彼の画は、マニエリスム、バロック様式に分類されます。暗い画面、縦に長い構図、複雑なポーズの人体などが特徴です。死後、長らく評価されませんでしたが、19世紀に再評価を受け、ピカソ等、20世紀の芸術家にも影響を与えたとされます。収蔵品は、写真編の方でご覧ください。
<食料を買い込んで、帰路に>
ニューヨークへの戻りの列車は、5時過ぎでした。それで、駅構内のお店で軽食を買い込んで、車中で夕食代わりにすることにしました。リカーショップもありましたから、缶ビールと、ねじ式の小瓶のワインも買い求めました。初日に比べると、1/10程の費用の夕食になりました。
翌朝はラスベガスへの移動日ですから、ホテルへ戻って解散となりました。ホテルのバーで水割りを飲んで、この日は少し早く就寝しました。
リンカーン記念堂で
人民の言の葉三度繰返し歴史を語る白亜の座像
アーリントン国立墓地で
永遠の炎は静に燃続けテロの愚さ諭すが如し
航空宇宙博物館で
月面に着陸したるその昔心踊し石に触おり
国立美術館で
エル・グレコ展示の部屋に人影の少く吾を忘れて見入る
2010/08/28 10:08:07