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日本VSカタールを日産スタジアムで観戦してきました。
その模様をカメラに収めてきましたので公開します。
2階席の高い位置の席だったので、望遠で撮影しても選手の顔が小さいです。
予めご了承下さい。
2010/09/08 12:09:06
カラチの町の中央通り近く
ドクター・ジアウディン・アーメド通りの
パール・コンチネンタル・ホテルでみつけた素敵な絵。
ペルシャとインドの文化が溶けあったような。
繊細で生き生きしてて。
これからいろいろ調べてみましょう。
本屋さんで立ち読みしたら
これはインドのムガール王朝の宮廷絵画の流れをくむ絵だ
ということがわかりました。
モハッタ宮殿博物館のレセプションで見せてもらった画集に
似たような絵がありました。
それはラホールの博物館所蔵の絵でした。
ラホールはパンジャブ州のインドとの国境近くの古都です。
パキスタンは独立前は英国領インドだったのですから
インドと共通の文化を持っているのは不思議ではありません。
ほかの絵もみたいものだと思ってホテルで聞いてみても、
「毎日6時にギャラリーの人が絵を売りに来るからその人に聞いてみなさい。」
→6時になっても現れず。
近くのカーペット売り場の人が寄ってきて
「絵を売る人は私の弟だ。もうすぐ来るよ。
この絵(現代的な油絵)はどう?カーペットはどう?」
いらんちゅに。
結局要領を得ないまま時間がすぎていきました。
でもある日、大家さんのアイシャがいいました。
「これはとっても有名な画家の作品なの、もう亡くなったけど。
オリジナルはすんごく高いのよ。」
彼女はラホール出身のインテリア・デザイナー。
美術に詳しいということがわかりました。
彼女自身も1点所蔵。
ランプを持つ女性の絵で、すばらしさに惚れ惚れしました。
東京とカラチを行き来するようになって1年半、やっとこの画家、パキスタンの著名な画家アブドル・ラーマン・チュグタイのことがわかってきました。
いや、わからないということがわかった、というべきか。
カラチで教養のありそうな人に聞くと「ああ、パキスタンを代表する画家だ。」という答えが返ってきてもどこで見られるか、どこに行けば作品集が入手できるのかが
「わからない。」
下記のサイトからリンクの許可が出ました。(掲載の許可は下りず)
http://www.askart.com/AskART/artists/search/Search_Repeat.aspx?searchtype=IMAGES&artist=11094068
こちらのページでは「セレナード」という作品をみることができます。
コロタイプ印刷(ゼラチンを版面とする写真印刷法だそうです)したものが古いアメリカの家庭の暖炉の上に飾られていたのです。
http://antiquescayucos.com/pages/Chughtai%20Art%20Print.html?ViewItem&item=120077146763
サンフランシスコのアジアン・アート博物館には15点所蔵されているそうです。
★Pakistan編のサイトマップはこちらです。
http://4travel.jp/traveler/tougarashibaba/album/10406139/
2010/09/05 09:09:16
今まで車の工場見学に行った事が無かったので、“JAF”会員を利用して福岡県京都郡苅田町にある日産九州工場の見学に行ってきました。
土日の見学はやっていないので、平日のみ自分で日産に予約して見学となります。
この日も写真を沢山撮るぞ!と意気込んでいたら、やっぱり工場内は撮影禁止なのね。
まず簡単に行程を説明すると、プレス→溶接→塗装→取り付け→出荷となり、プレスと溶接は安全面から見学できませんでしたが、スポット溶接は見学できました。
数十台並んだ車に4機のロボットが一斉に溶接を始める光景はまさに圧巻です・・・いや、ターミネーターの実写版を見ているようでした。
見る物すべてが初めてな私は、車がこうやって出来るのかーと感動しまくり。
しかし、見学時間が1時間30分しかないので、ゆっくり見られないのが悔やまれました。
多分、ゆっくり見ていたら1日で終わらないかもしれませんが、
最後のアンケートでこのことを書かせて頂きました。
その後、行橋市に昼食を食べ、また中津市にも近いので唐揚げを買って、温泉に入ってきた事は言うまでもありません。(笑
2010/08/30 09:08:52
<2002年6月20日(木)>
<5時半のモーニングコール>
昨日ガイドさんから聞いた5時半のモーニングコールは、いつもの起床時間なので、全く問題にならないスタート時間です。それに、こちらへ来て1時間時計を遅らせていますので、なおさらです。意識下の世界で体内時計が変調をきたしているのなら、その点だけが唯一の心配と言えば心配でした。
ホテルでは7時から朝食が摂れるので、それから逆算しました、5時半のモーニングコール時間でした。一番に朝食を済ませ、一日を目一杯に観光を楽しもうと言う計画です。
昨晩、少しウィスキーを飲んで、就寝したのは0時を回っていました。しかし、4時半頃には目が覚めました。モーニングコールの1時間前です。朝の支度を済ませながら、モーニングコールを待つ格好になりました。
5時半ぴったりにモーニングコールが鳴りました。自動電話だと思って、受話器を上げただけで、元へ戻しました。暫くして、もう一度鳴りましたので、今度は受話器を取り上げました。すると、女性の声で「おはようございます。モーニングコールです」と日本語で告げられました。「ありがとう」と応えたものの、「一度目に受話器を上げればよかったかな?」と反省しました。他の方にお聞きしましたら、「1回目は機械呼び出しでした」とのことで、安心しました。
<洪水の跡>
2、3日前の日本の新聞、テレビ報道などで、中国南東部の大雨情報を流していたのが気がかりでした。昨日は夜遅くホテルに着いたので気が付きませんでしたが、ホテルの周りにも洪水の跡が生々しく残っていまっした。
「2日前は大変でした。ホテルの前の道路が冠水しました」と言う話でした。ホテルは漓江に面して建てられていて、川を溢れた濁水が道路を冠水させたようです。木目の細かいドロが、一面に残っていて、漓江もまだ水位が高いようでした。洪水の最中では、川下りを諦めざるを得ないところでした。際どいタイミングで、漓江の川下りが成立しました。
桂林の「桂」は日本の「かつら」ではなく、「木犀(もくせい)」を意味しています。ホテルの前の道路両端に植え込まれているのも、金木犀でした。銀木犀と、もう1種の木犀が町中に植栽されているとお聞きしました。
日本でも10月頃になりますと、あちこちで強い香りを発するお馴染みの木です。中国では芳香剤としてだけではなく、お茶の材料としても珍重されています。これは、葉の方を使うのではなく、小さい花の方を用いています。
お茶の専門店で飲む機会がありましたが、お茶の葉と混ぜて使うもののようです。ジャスミン茶ほどの強さはないですが、中々の芳香があります。
<泊ったホテル>
泊ったホテルは、日航経営のホテルだったようです。今の名前は「桂林帝苑酒店」、英語表記では、Guilin Royal Garden Hotel となっていました。伏波山の対岸に位置しています。漓江はこの辺りでは南北に流れていますので、東岸の絶景の位置にあります。
ロビーでは朝早くから弦楽四重奏の生演奏があり、落ち着いた雰囲気を醸していました。ホテルのパンフレットによりますと、弦楽四重奏のほかに、中国民族音楽の演奏が聞ける時もあるようです。ユモレスク、弦楽セレナーデなど耳に馴染んだ曲が演奏されました。ヘンデル風の曲もありましたが、残念ながら曲名までは思い出せませんでした。
クラシック音楽が好きなので、つい、一番いい場所で聴いて、拍手を贈りました。演奏しているメンバーの方も、近くで大声で話している人達がいると、乗らない雰囲気が、表情に出ていました。しかし、拍手の時は注目が演奏している人たちに向き、瞬間に雰囲気が変わりました。
日本人以外では、多くの欧米人の泊り客を見かけました。そんな事が影響しているのか、朝食は洋食のバイキング方式と、別のコーナーでは和食も用意されていました。
洋食の方は、品数も味も申し分ありませんでした。パン類やハム・ソーセージ類をはじめ、ジュース、果物も各種揃っていました。
ガイドのリンさんが「皆さん方が泊られるホテルは、大きくて立派なホテルですよ」と、昨晩紹介してくれた通りの内容でした。珈琲のお代わりを頼みながら、ゆっくりと朝食を楽しみました。
泊った部屋は4階で、眼下にホテルのプールが見えました。2階か3階の屋根の上に設えられているようでした。朝早くから何人かの人が出て、プールや付近の清掃をしていました。カーテンを薄く開けて、朝の桂林、漓江の朝ぼらけを楽しんだ時間でした。
桂林のホテルに関しては、何の問題もありませんでした。というより、十分に満足したと言った感想の方がぴったりでした。
<漓江下り>
漓江下りの出発点までは、マイクロバスで1時間あまりかかりました。桂林全体がカルスト地形なので、奇岩が続く途中の景色も十分に楽しむ事が出来ました。最初は、まばらに人家が点在する場所や、物々交換の小さな市場と言った、日本の田舎の原風景にも思える場所をいくつか通りました。そこを抜けると、人家は少なくなりました。カルスト地形独特の山が聳え、岩と樹木だけの、自然そのままと言った風景が続きました。
「松島やああ松島や松島や」と、芭蕉が絶句したと伝えられる日本の絶景、松島、個性豊かな島々が点在するその景観は、船で島繰りをした時の感激が、桂林の漓江下りの時にも同じような体験となりました。
今回の旅行のハイライトなので、もう少し詳細に文を綴ってみたい思いはするものの、それに相応しい文章は、とんと浮かんできません。この部分も、写真の頁に譲って簡単な感想だけに止めることにします。
ほんの数日違いで漓江の洪水に遭わずに済みました。川は未だ濁っていたものの、想像の世界であった山水画の幽玄を十分に味わう事ができる幸運に恵まれました。感謝、感謝です。
川下りの船中には、日本語の達者な乗組員がみえ、色々と話をしながら両岸に広がる絶景を楽しみました。船中では、自生の梅を蜂蜜漬けにして、すっぱくないようにした梅干や、地元のリキュールの小壜などをお土産用に買い求めました。
<冠岩の鍾乳洞>
漓江下りの途中、陸に上がって冠岩に立ち寄って、鍾乳洞を見学しました。この一帯でも洪水の跡が色濃く残っていました。岸へ上がる階段には、厚いドロが残っていて、川添いの道も泥で汚れていました。
陸に上がったのは、未だ午前中でした。しかし、蒸し暑さは日本の梅雨時期、真夏とも違う厳しさでした。冠岩は、山を中腹まで上ってから、鍾乳洞に入りますので、途中の階段登りで、結構きつい思いをしました。暑くなければ大したこのはないと思うものの、湿度の高さには正直参りました。この時期、これだけの暑さには日本では未だ馴染んでいませんでした。
メンバーの中には、日本の鍾乳洞巡りを沢山経験されていた方もみえました。それでも、冠岩の鍾乳洞の規模と多彩さには圧倒されていたようです。
ライトアップの規模と変化、多様さには感心しましたが、私の場合、かなりの違和感も感じました。その1つは、日本における天然記念物の保護の熱心さと、ここ中国の観光第一と思われる積極的開放策、人工物の導入姿勢のギャップが直ぐには埋まらなかったためです。ただし、日本の保護策だけが正しいと言う主張ではありません。
また、西安の兵馬俑坑のように、現在の技術レベルで保護できない文化財に保護には、何百年かかったとしても、後世の保護技術が完成するまでは、今一度埋め戻しをする姿勢をとっています。中国国内で採られている別の施策とのギャップも感じました。
<漓江下り終点の町>
洪水の影響が完全には元に戻っていないために、漓江下りの終着点が変更されました。水位が高いために予定の場所に接岸できないからです。降り立った場所は、俄に出来た門前町のような場所でした。狭い道路の両端に小さな屋台が建ち並び、色とりどりのお土産を売っていました。
ここでは昔バリ島で経験した「千円!千円!!」「シェンエン!シェンエン!!」の世界があり、ゆっくりと屋台店を見学する楽しみを味わえませんでした。早足でこの一帯を通り過ぎて、迎えのマイクロバスが待っている駐車場へと向かいました。
この一帯は屋台の店ばかりでなく、洒落た西洋風の店がその先に続いていました。宿泊もできるようです。店先では、のんびりとアフタヌーンティを楽しむ西洋人を多く見かけました。次に訪れる機会があったら、その店先の人達の立場で、ゆっくりとひと時を過ごしてみたい雰囲気がありました。
ここから桂林市内に戻る途中でも、素晴らしい景色が待ち受けていました。強くはなかったものの、雨が降り出し、遠くに見える山々が幻想的な雰囲気を作り出しました。 漓江に繋がる水路では、葦で葺いた小さな屋形船で、魚採りの若い人が昼寝を楽しみ、まだ産毛が生えたアヒルがよちよち歩きする、午後のひと時でした。
<七星公園>
漓江下りを満喫した後、まだ時間がありましたので、桂林市内に戻り、市内見物を楽しみました。漓江下りの後に降り出した小雨も、何時しか止んでいました。
ガイドのリンさんは、「この公園には世界一大きい駱駝(らくだ)がいます。それを今から見学に行きます」と言って、七星公園に案内されました。ここは市民の憩いの場であるらしく、公園内には散歩途中の市民らしき人を多く見かけました。
世界一大きい駱駝とは、実は駱駝の形をした奇岩でした。すっと伸びた頭部分には、顔に相当する岩の微妙な造作もあります。その後ろに続くこぶ山は、文字通り駱駝の背中のこぶです。どうやら世界一大きい、そして、三つのこぶを持つ駱駝です。尻尾の部分には、これまた潅木が生えて、一層リアルな姿となっていました。
七星公園内には、奇石博物館があり、様々な文様、形、成分の大小の石、岩が展示してありました。この博物館でみんなの人気の的になったのが、若い女性ガイドさんでした。
「・・です」と断定してもいい事柄も、「・・らしいです」を連発していました。また、その説明内容、表情が面白かった。特別の美人といったわけでもなく、不細工な顔でも無く、今流行の「癒し系」と言ったところでしょうか。とにかく笑顔が絶えず、何より元気が良い方でした。吉本興業辺りに紹介したいようなユニークな娘さんでした。
庭園もよく整備され、個人の邸宅と言った趣でした。亜熱帯性の気候のためた、植物の生育と種類も豊富な様です。普通は池で生育する蓮の鉢植えもありました。品種改良されて、小型の造りになっていました。
<少数民族舞踊>
漓江下りに出発するバスの中で、リンさんが「今晩は観劇する時間があります。ご希望があるならセットします」と、みんなに尋ねました。「少数民族の舞踊を主体にしたショーは、雑技、サーカスを主体にするかによって劇場が変わります」という事でした。
それで、みんなで顔を合わせてそれとなく希望を出しているうち、「少数民族の舞踊主体のショーに決めましょう」ということになりました。「全員で見に行きましょう」と決まるまで、ほとんど時間が掛かりませんでした。リンさんによれば、「早く申し込んだほど、いい席が取れます」と言う事で、その場で早速、携帯電話で申し込んでもらいました。
リンさんが言ったとおり、早く申し込んだお陰で、実際いい席につくことが出来ました。席が前の方であるばかりでなく、椅子もゆったりとして立派なものでした。飛行機の席に例えれば、エコノミークラスとビジネスの差の分はありました。エコノミークラスの席の人と話をしたら、値段が一緒だったことが分り、「早く申し込んでおけばよかった」と悔しがられていました。
少数民族の舞踊を主体にしたショーは、「漓江風情夜」のタイトルで桂林市歌舞団による出し物でした。パンフレットで改めてその内容を整理しまする。全体が3篇から構成されていましたが、幕間はありませんでした。その3篇は「山水篇」「風情篇」と「賞新篇」からなっていました。
「山水篇」は舞踊、アクロバット、サーカスと、もう1つの舞踊で構成されていました。最初の舞踊は、桂林の混沌、カオスの時代を表現しているような、幻想的なものでした。
「風情篇」は全て少数民族の踊りで構成されていました。「チワン族の舞踊」「雲南民歌」「ドウ族の舞踊」と「ヨウ族の結婚式」です。チワン族は「壮族」、雲南族には「云南族」、ドウ族には「ドウ(漢字省略)族」、ヨウ族には「瑶族」の文字が使われています。
桂林自体は、「広西チワン族自治区」の東北部に位置しています。解説書によれば、桂林市民の92%が漢族で、残りの8%がチワン族などの少数民族(先住民族)とありました。まだ、都心部で生活している専従民族が少ないと言う事でしょう。
「賞新篇」は盛りだくさんでした。「チベット族の舞踊」で始まり、「チワン族の舞踊」「ウイグル族の舞踊」「サーカス」「タイ族の舞踊」「朝鮮族の舞踊」「ミョウ族の舞踊」と最後に出演者全員での「多民族の踊り」で締めくくられていました。チベット族には「蔵族」、ウイグル族には「維吾尓族」、タイ族には「秦族」、ミョウ族には「苗族」の文字が当てられていました。チワン族の踊りは「風情篇」でもありましたが、ここでの踊りは「銅鼓」を使った勇壮なものでした。
中国は大胆な略字を用いていますので、云は「雲」、苗は「猫」等を意味しているようです。「維」の糸偏も「小」の部分が、行書風の横棒になっています。
本題に戻って、少数民族の舞踊を主体にした観劇は大いに満足できました。1時間半あまりがあっという間に過ぎてしまいました。舞台の美しさは写真のページに譲るとして、実際の舞踊はそれ以上でした。踊り手の表情、動きなども十分に堪能できました。
七夕の飾りと見紛う洪水の竹の林に懸かる色札
洪水は黄土集めて瀬を早み漓江は暫し荒し川なる
小刻の山の頂目で追いぬモーツアルトの調に似たり
高き峰聳ゆる様は楽聖のフォルテ思わす漓江を下る
疾き河を渡り来りし黒蜻蛉小さき羽を休めし窓辺
川蝦と山水つまに川下る土地の酒あり桂林麦酒
桂林の山河に冬あり夏の日も川面眺めて時を忘るる
デジャビューを覚ゆる漓江の川下り遠く近くに霞立つ山
2010/08/29 11:08:53
<2005年12月18日(日)>
旅行2日目となりました。今日はバンコク市内の見学を当て、翌日に近郊のアユタヤ遺跡見学の予定です。HI*さんの市内の名所早巡りツアーに参加者は4名だったようですが、3名で出発しました。別のホテルの1名の方が時間に間に合わず、大分待ちぼうけとなりました。朝のラッシュが迫っていましたので、ご本人にもガイドさんから連絡してもらって、結局ワゴン車は、見切り発車となりました。
<ホテルの朝食、早朝の散歩>
昨晩は、比較的早く就寝しましたので、4時には目が覚めました。余り早く起きても仕方ありませんので、結局起き出したのは5時45分でした。
朝食のメニューを少し紹介しておきます。洋食とタイ料理が主体のバイキング方式です。大きなホテルですから、席も余裕を持って配置してありました。品数も豊富でした。
暖かい国ですから、果物類も種類が豊富で、味の方も申し分ありませんでした。普段は余り果物を食べませんが、こんな時は別です。各種の果物を少しだけカップに盛って、食後のフルーツを楽しみました。トロピカルなフルーツのほか、スイカなども出されました。その数は10種類以上でした。細かく数えれば20種類近かったかも知れません。
食事の後は、カメラを持って早朝の散歩に出かけました。市内見学の車が迎えに来てくれる7時半に、まだ1時間以上の余裕があったからです。扉が開かれていた公共施設のような大きな屋敷の入口付近で花の写真を撮っていましたら、中から黒塗りの公用車がゆっくり出てきました。どうやら高級官僚の官舎だったようです。車が出て行った後、その門はぴったりと閉ってしまいました。
<ガイドさんからお聞きしたタイ王国事情>
最初に、お聞きしたことを箇条書で記しておきます。内容についての統一性はありません。メモした順番です。
?女性と、男性では挨拶は違います。男性の場合、サワッディー・クラ(ップ)です。朝も昼も使えます。
?バンコクでは、雪は降りません。(以下、気候はバンコクの場合)
?一番暑いのは4月です。昨年(2004年)は41度Cになりました。
?12月と1月がベストシーズンです。
?タクシーの初乗り料金は35バーツ(約100円)です。その後は100mごとに2バーツです。
?タクシーで黄と緑のツートンカラーは個人、その他は会社所有です。
?メーターの無い、ツック・ツックと言う乗り物もあります。
?高架電車はスカイトレイン、BTS等と呼ばれています。運行時間は朝の6時から、夜の12時までです。
?サイアム駅付近が中心街となります。
?国民の95%が仏教徒です。タイでは小乗仏教です。
?全国で約2万のお寺があります。
?お坊さんは結婚できません。尼さんもいます。
?お坊さんは、一切アルコールは禁止されています。飲むと、それまでの修行が全て駄目になると考えます。
?男子は21歳で徴兵制があります。
?徴兵は全員ではなく、くじ引きで決めます。
?黒い籤が75%、赤い籤が25%あり、赤い籤を引くと2年間の兵役となります。(4人に1人)
?男子は、一定期間仏門に入る義務が生じます。
?日本の車で多いのは、トヨタ、ホンダ、日産、三菱の順です。三菱は急激に減っています。
?1戸建て住宅の値段は約100万バーツです。
?タイ国旗の青は王様、白が宗教(仏教)、赤が国を表しています。
紹介は以上にしておきますが、王様のことや、閣僚のことなども色々とお聞きしました。ラーマ九世であるプミポン国王は、来年(2006年)、在位60年を迎えられるので、世界中の君主国へ招待状を出される予定との話題も出ました。勿論、日本もその中に含まれていますが、全部で21、2カ国のようです。
その後の人本の新聞記事で、プミポン国王から正式に招待状が届いたことが報道されていました。
<ワット・アルン>
最初にワット・アルンの紹介です。ワットの文字が度々出てきますが、これはお寺のことです。ワット・アルンの正式名称はワット・アルン・ラチャクラーラムです。通称、『暁の寺』とも呼ばれ、日本でも三島由紀夫の小説の題名で有名になったお寺です。
そのワット・アルンへの近道は海上交通です。ター・ティアン船着場からの出発となります。ほとんど真直ぐに川を横断するだけですから、10分とはかかりません。川を高速で上下する船を避けての横断です。
全体の構成は、ヒンズー教の神々が住むといわれる神話上の山、須弥山(しゅみせん)を模しています。中央の大仏塔は高さが79mあり、その四方に小さな仏塔が配されています。創建はラーマ1世の時代に遡り、その後、歴代王によって、増改築が繰り返されました。その結果、現在ではタイ国最大のクメール様式の仏塔(プラーン)となっています。
現在は大仏塔の上部への立ち入りは制限されていますが、途中までは急な石段を登ることが出きます。視界が開け、また別の世界が見えてきました。大仏塔を囲む四方の小仏塔の中段辺りには、それぞれに別の仏像が飾ってありました。遠くから見た限りでは、騎馬像のようにも見えました。
次に大仏塔の装飾についても少し紹介しておきます。ガイドブックにも載っていますが、彩色陶器片が全体に散りばめられています。ラーマ4世が寄贈された夥しい中国陶磁器です。デザインされているのは、花や植物です。陶磁器片だけでなく、割れていない皿もふんだんに使われています。
仏塔を覆うこれらの陶磁器が、朝日を受けて神々しく輝く様は、『暁の寺』の由縁となりました。
陶磁器片の飾りのほかに触れておきたいのが、彫像です。その数も夥しく、しかも多彩です。壁に刻まれた白いレリーフもありますし、独立した像、塔を支えるようにデザインされた像などもあります。それらの像もまた、陶磁器片で飾ってあります。
<ワット・プラケオと王宮>
ワット・プラケオは、タイで最高の地位と格式を誇る仏教寺院であり、王室の守護寺です。王室専用であり、タイでは、唯一僧侶のいない寺院です。ヒンズー教の神話をアレンジしたラーマキエン物語の描かれた本堂には、高さ66cmの翡翠でできた本尊が安置されています。
そのワット・プラケオに隣接して、王宮があります。今回の見学では、大掛かりな修復作業に入っているようでした。白壁に囲まれた20万平方の敷地内には、歴代の王により建立された、きらびやかな宮殿群が建ち並んでいます。それぞれに時代の芸術の贅を尽くして建造された建物や調度品には、金や宝石が散りばめられ、権力と財力の象徴を今に伝えています。現在は、国家的儀式や祭典、迎賓館として利用されています。
見所が多い見学場所ですから、ガイドさんからざっと説明をお聞きした後で、集合場所と時間を決めての自由行動となりました。御本尊は撮影が出来ませんから、ガイドさんが手にした写真を、見せてもらいながらの説明をお聞きしました。
最初にエメラルド寺院の本堂から紹介しておきます。履物を脱いで中に入ることが出来ますが、御本尊が安置されていますから、写真撮影は禁止されています。ご本尊のエメラルド仏は、高い位置に安置されていますから、細部までは、良く見えません。年に3回、国王自らが、お召し替えをされる儀式が有名です。
全体が黄金の輝きを持つプラ・スィー・ラタナ・チェディも見ものです。ラーマ四世がアユタヤのワット・プラ・スィー・サンペットを模して建立されたものです。内部に仏舎利が安置されていますが、非公開です。
この他にも、屋根が段々と重なったタイ様式、とうもろこし形の尖塔のクメール様式、先端が細くなるスリランカ様式などの建物と、その外壁に施された多彩な装飾も、全く見飽きることがありません。
<お決まりコースの後、市内散策>
バンコク市内の主な見学場所は、ワット・アルンとワット・プラケオでした。その後ではお決まりの免税店巡りなどでした。お断りしたくても、ツアーの場合は、半分は義務のようなものですから、お付き合いは仕方がありません。宝石製造工場の見学の後、免税店での解散となりました。私の場合、夜のディナーショウを申し込んでいましたから、それまでの間が自由行動です。
自由行動になった後は、BTSを使って市内見学をしました。バンコクに到着した昨晩、既に経験済みでしたから、BTSも地下鉄利用も全く問題ありません。色んな都市を訪れた時の私の楽しみにもなっています。
気温は30度近くに上昇していたようです。汗をかきながらの市内見学でした。日陰で寝そべっている犬も見かけましたが、暑さで参っている風にも見えました。概して、タイでは犬が大切に扱われているようです。犬さんの方も、穏やかな顔つきばかりでした。
<古典舞踊のディナーショウ>
昨日、HI*のガイドさんに、オプショナルで、夜はタイ古典舞踊のディナーショウを申し込んでいました。折角、タイへやって来たのですから、古典舞踊も鑑賞しないわけにはいけません。夕方6時にホテルまで迎えに来てもらう約束でした。時間を守ってくれるガイドさんですから、いつも10分前には、約束の場所に行くことにしました。
ディナーショウの写真が紹介できないのが残念です。実はこの時撮った写真が、カメラごとスリにあったためです。二部構成で、第一部が叙事詩の仮面舞踊、第二部がスコータイダンスでした。
ここで、簡単にタイの古典舞踊等について、紹介します。下の写真の左側は、愛知万博の際にタイ館で披露された南部の古典舞踊です。劇の前奏曲としての踊りです。「サット」と南部の古典劇である「チャートリー」の形式を踏まえた古典舞踊です。軽快な太鼓の音に合わせた早いテンポでの踊りです。
右側の写真は、インターネット情報から転載した古典舞踊です。当日の舞踊も、この場面に類似していたように記憶しています。
<78歳の現役スキーヤーの母と娘さんのこと>
HISのツアーで御一緒になった方についての紹介です。投宿したホテルも御一緒だった方です。2日目の半日市内観光もご一緒になった方です。母娘のお二人でしたが、お母さんの方が自分から年齢を紹介されて、78歳の方だと言うことが分かりました。
実にお元気な方で、歩き方も若い人には引けをとらない方でした。現役のプロスキーヤーであることが、その理由でした。世界的な冒険スキーヤーで登山家の三浦雄一郎のお父さんである、敬三さんともスキー仲間だと話されていました。
その三浦敬三さんが、『ここ1年ほどで、急に弱ってしまわれたので心配しています』と話されていました。その心配されていた敬三さんが、この旅行の翌月、年が明けた1月5日に多臓器不全のため、101歳で他界されました。謹んで御冥福をお祈りします。
その後、亡くなられた三浦敬三さんの追悼番組が放映されていましたので、奇しき縁だと思って、そのテレビを最後まで見ていました。ご高齢になられても筋肉を鍛えられる姿に、畏敬の念が湧きました。
そのプロスキーヤーのお母さんは、ロシヤに行ったり、カナダに行ったりと、寒い国にばかり旅行していて、暖かい国への旅行は初めてだと話されていました。語学が達者なようでした。一人旅も出来る方だとお見受けしました。
また、最近、ご高齢で亡くなられたご自身の義理の母のことについても、お話を聞くことが出来ました。嫁と姑の関係です。40年以上お世話になって、最初は辛いこともあったようですが、本当に、いろんなことを教えて頂いたと、心から感謝されていました。私に話しながら、傍らの娘さんに教えられていたのかも知れません。お二人は、姓が違っていましたから、普段は別々に暮らされているようでした。
ワット・アルンで
暁の塔を見詰て渡る川岸辺に立りラーマ九世
須弥山を現世に現す尖塔に真を籠し陶器は数多
ワット・プラケオで
黄金の尖塔長く天に伸び静に咲ける蓮の花あり
縁起絵に見惚て暗き回廊に喧騒暫し耳を離るる
2010/08/29 06:08:19